冷却原子系とは -ザックリ解説-
冷却原子系とはどんなものなのだろうか?
冷却原子系とは、レーザー冷却技術を用いて極低温付近まで冷やされた原子集団のことである。
一般的に、この原子集団は希薄で、かつ原子間の相互作用も弱いことが多いので冷却原子気体と呼ばれることもある。
この系は ヘリウム以外で初めてBose-Einstein凝縮を実験的に実現した系 として注目が集まった(以下、BEC)。 初めは$^{87}$Rb、$^7$Na、$^{23}$Li、といった原子でBECが実現されたが、その後の冷却技術の発展に伴って他の原子種でもBEC実現の成果が広がっていった。
冷却原子系は、上記のようなレーザー冷却技術の限界に挑む実験や原子気体BECの実現といった有用性に加えて、高い制御性という優れた面も持っている。
例えば、磁気光学トラップされた冷却原子気体に対して、 原子間の相互作用を調節できることが知られている
これはFeshbach共鳴と呼ばれる現象を利用して行われる。実験的には、系に作用させる磁場を制御させることによって実現される。 原子間の相互作用はs波散乱長というパラメータだけで決まることが示されているのだが、磁場を変化させることでFeshbach共鳴によってこの散乱長を変化させることができるので、結果的に相互作用の強さを変えることができる、という仕組みである。
Feshbach共鳴でのs波散乱長$a$のエネルギー依存性は以下の式で表される.
ここで$a_{nr}$は非共鳴散乱長、 $m$は、散乱する粒子の質量、 $g$は結合の強さを表すパラメータ、 $E_{\rm{th}}$は散乱状態のエネルギー、 $E_{\rm{res}}$は束縛準位のエネルギーである。 このときの分母が外部磁場によって実験的に調節可能なのである。
この現象については別の記事で詳細に定式化してみたいと思う。
相互作用の強さを自由に変えることができる系というのは珍しく、様々な理論の検証を可能にしてくれることが期待されている。 物質の性質というのは、それを形作っている粒子間の相互作用に大きく影響されるためである。
このような、量子系を使って別の量子系の性質を調べるという考え方は量子シミュレーションとして知られており、今まで理論上でしか存在が提唱されていなかった現象の実験の場として期待が高まっている。 まさに冷却原子系を 量子シミュレータ として使おうというのである。
また、原子気体自体の形状についても光学的な制御性がよく、磁気トラップで集める以外にも、レーザーを使って格子状に配置することで結晶中の原子をシミュレーションすることができる。
ところで、冷却原子気体という名前を聞いたときに、「なぜ冷却しているのに気体のままなのだろうか」、と思った人もいるかと思う。
通常の感覚だと、気体を冷やしていくと液体、固体と変化していくのが普通だと思うだろう。 しかし今考えている原子気体の場合、原子の数が少なく、十分に希薄であるため、気体の状態を保ったまま冷却することができるのである。
冷却原子系はこのように、いろいろな面白い性質を持っているので今後も多くの成果・進展が予想される。
量子シミュレータとしての冷却原子系の応用範囲はとんでもなく広いので、ここで語りつくすのは筆者の能力を大きく超えると思う。 例えば光格子を用いた結晶格子のシミュレーションや、相互作用する量子多体系のシミュレーションとして物性やハドロン物理への応用などがある。 また、ホーキング輻射などへのシミュレーションもある。
冷却の方法
原子を冷やすために使われる手法は主に レーザー冷却 と 蒸発冷却 である。
説明を簡単にするために1次元の場合を考えてみると、レーザー冷却は運動している原子の進行方向に対して平行・反平行な2つのレーザーを照射し、ドップラー効果を利用して原子を減速させることにより冷却を実現する方法である。 原子がレーザーと逆向きの速度を持つ場合はドップラー効果によって波長が短くなるためにより大きく反発を受けるが、逆に原子がレーザーと同じ向きの速度を持つときは波長が長くなるために原子が感じる力前者に比べて弱くなる。これによって原子は実質的な抵抗力を受けることになるので減速が起きる。 これによって原子たちは数百$\mu K$程度まで冷却される。
蒸発冷却はレーザー冷却によって冷やされた原子集団をさらに冷却するために行われる手法である。 磁気光学トラップによって閉じ込められた原子集団に対して、rf電磁波を照射することでエネルギーの高い原子をトラップからはじき出し、系全体の冷却を実現する。 これによって原子気体でBECを実現できる温度まで冷却することができる。
参考文献
冷却原子気体をメインで扱った教科書は数が少ないが、以下の本が有名である。 別の記事でレビューもしたので、興味のある方はどうぞ。
- C. J.Pethick, H. Smith 著、町田一成 訳、ボーズ・アインシュタイン凝縮
また、専門家の方による解説記事もわかりやすいものがあるのでオススメできる。
- 上田正仁 応用物理第82巻第9号(2013)
- 上田正仁 日本物理学会誌53,663 (1998).
- 久我隆弘 日本物理学会誌55,90 (2000).
- 大橋洋士 日本物理学会誌59,207 (2004).
- 中島秀太 物性研究・電子版Vol. 10 No. 1, 101212(2022年3月号)
冷却原子系に関する論文など。
- M. H. Anderson et al. ,Observation of Bose-Einstein Condensation in a Dilute Atomic Vapor.Science269,198-201(1995). DOI: https://www.science.org/doi/10.1126/science.269.5221.198
- C. C. Bradley, C. A. Sackett, and R. G. Hulet, Bose-Einstein Condensation of Lithium: Observation of Limited Condensate Number, Phys. Rev. Lett. 78, 985. DOI: https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.78.985
- K. B. Davis, M. -O. Mewes, M. R. Andrews, N. J. van Druten, D. S. Durfee, D. M. Kurn, and W. Ketterle, Bose-Einstein Condensation in a Gas of Sodium Atoms, Phys. Rev. Lett. 75, 3969. DOI: https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.75.3969
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