2024年前半
2024/6/19 文章を書くこと
文章を書くことは簡単なようで意外と難しい。 どんな文章でもいいのであれば、書こうと思えば書けるものだけども。。。 ただ、論理的に矛盾がないようにしたいであるとか 読んでいて自然な感じにしたいだとか、 できるだけわかりやすくしたい、といった注文を満足しようとすると難しい。
人の書いた文章を読んでいるとき、よく間違いに気づくのに自分が書くときはなかなか気づけない。 本を読んでいて説明がわかりにくいと感じたり、なんとなく日本語がおかしいと思って 自分ならもっとうまく書けるのではなかろうか、と思ったりもする。 ただ、いざ書いてみると意外にもわかりやすさと正確さを共存させることができなかったり、 へんてこな文章になってしまったリする。
しかもそれが後になってわかったりする。 書いたときは満足していても、後になって見返したときには、誰がこんなひどい文章を書いたのかと思うようなことがある。 説明がわかりやすいかどうかということ以前に、ですます調と「~だ」、「~である」みたいな語尾が共存してしまってることがある。 自分が過去に書いた記事にもそういうのがあるようで、時間を見つけて直したいな、と思うなどした。
2024/6/09 世の中は意外と間違いだらけ
子供のころは大人は偉いものだと思っていた。 いや、実際偉い人もいるけれども。 ただ、成長するにつれて、みんながみんなそうでもないということがわかってくる。
何事についても間違いは大人になれば少なくなるのだろうという楽観もあった。 とくに売っている本に間違いがあるということは思いもしなかった。
専門書であっても、堂々と誤植があったりする。 ある程度その分野に習熟していれば見抜けることもあるけれど、初見だと難しい。 逆に言えば、誤植を見つけられるくらい読み込めたら、よく勉強できている証拠といえるかもしれない。
多少の符号ミス、添え字ミスであれば大目にみれることもあるのだが、 派手に論理がおかしいとか、カッコの位置がまるきりずれていたりするとその本や著者に対する信用が落ちる。 まあ、人がやることなので、どこかには必ず間違いがある、というくらいのスタンスがいいのかもしれないが。
そう思うと少し気が楽な気もする。 自分が書く文章も完璧でなくてもいいと思える。 そもそもいきなり完璧を求めるのは難しい。
世の中には本の誤植以外にも、意外とたくさんの間違いがあるのだろう。 だから何かと事件や事故が起きるし、社会的な問題もある。 改善する余地がある。 ということは自分にも何かやれることがあるかもしれない。 そうでもないかもしれない。 せめて誤植くらいは見抜けるようになっておきたいものである。
2024/6/08 あがきながら学ぶ
自分の勉強の記録としてもサイト運営をしているわけなのだが、 なかなか思うようにやりたいことができなかったりする。 そもそもに勉強というのは時間がかかる。
何かを理解するというのは簡単なことではないし、当たり前のことでもない。 時間をかけて考えて自分の力で納得のいく結果を導くことが大事だ。 そうやって得た知識は少々時間がたっても風化しにくい。 また本を開けば記憶がよみがえってくるものだ。
なので、そうやってあがきながら学ぶことの大事さはわかっている。 ただ、働きながら勉強するとなると、取れる時間が少なくて細切れになってしまったり、 時間が取れても体力がなくて急速に充てる必要があったりで思うように進まないことが多い。 だから働きながら大学院に行ったり、新しいことができる人は尊敬されるのだな、としみじみ思うなどした。
世の中の流れはせわしないので、せめて思考だけはゆっくりできるように時間を作りたいものだ。
2024/5/19 計算しながら物理の本を読む
物理や数学の本を読むときは実際に自分で計算したり、証明をやったりして書いてある内容を確かめながら進めるのがいい。 理解度が違う。
自分で本の内容を確かめることができれば人にも説明できるようになる。 ものを理解したかどうかをチェックする指標のの1つとして、他の人に説明できること、がある。 本に書いてある内容をただ読むだけよりも、実際に自分で体験するほうが鮮明だ。 よりリアルだ。
実体験は記憶にも残りやすいものだ。 自分事としてとらえることができる。 そうすれば、必然的にちゃんと理解したいと思うようになる。 モチベーションの維持にもつながる。 理解するために計算をして、モチベーションも上がるのでいいサイクルが回るのだ。
ところで、計算するもの大事だが、それだけでは書いてある内容を読み取ることができない。 著者がなぜその説明の仕方をしようと思っているのか、というところまで推し量ってはじめて全体像が見えてくる。 説明されている事柄だけではなくて、今は全体のうちのどこを説明していて、 その順序でいく理由や著者の意図するところは何か、といったバックグラウンドを把握できれば理解はぐっと深まる。
そのためには目先の計算にとらわれすぎてもいけない。 何のための計算なのか、を意識しながら読み進めるようにする。 計算は物理を理解するための1つの方法に過ぎないからだ。 理解したい物理があって、そのために示したいことがある。 それを示すための計算がある。 あくまで物理の理解が目的であるべきだ。
場の量子論とかだと、どうしても計算量が多くなるので今自分が何をやっているのか見失いがちだが、 定期的に目的を再確認しておくことが大事だと思う。
2024/5/2 学び続けることの意義
学生でなくなっても、生きていくうえで、学び続けることは大切なことだと思う。 むしろ学びを深め続けていくことで人生が豊かになると信じている(信じるというのは科学的な立場とは反対だが、ここは目をつむっておこう)。
学問を趣味として続けていくのもおもしろい。 個人的には物理や数学を趣味として勉強し続けていきたいと思って、本を読んでみたりしている。 とくに場の量子論は学生のころからやり残した感があるので、ひととおり理解しておきたい。 その過程で得られた知見はこのサイトにまとめていこうと考えている。
場の量子論は実験結果をうまく再現するという点でかなりうまくいっているが、まだ発展途上の理論でもある。 そのために初学者にとって難しく感じるところがあったりする。 また、自由度の多い系を扱うことになるので、計算がどうしても煩雑になることが多い。 そういったところをできるだけ簡潔にまとめてわかりやすくしておきたい。 後で自分が読み返したときに、満足できる形で残しておきたいと思う。
また、学ぶのは学問だけではなく、生活の知恵や仕事のやり方、人とのかかわり方など、いくらでもある。 とくに、最近の世の中は何かと変化が激しい時代に突入しているので、 その変化についていくためには学び続けることが必要である。 変化についていく、といってもうつろいゆくもの全部に首を突っ込んで右往左往するわけではなく、 必要最低限のことを知っておくだけでもいいと思う。 相手を知っていれば適切な対処もできるかもしれないのだ。
たとえば最近の大きな変化といえば生成AIの進歩が挙げられるだろう。 ほんの数年前まではAIが自然な文章でチャットしたり、絵をかいたりするサービスが大衆化することは想像できなかった。 それが一気に広がり、AIとの付き合い方や新しい倫理観などを求められるようになった。 こういった変化が今後も続いていくだろうし、激しくなっていくのだと思う。 そのときに社会で生きる人として生き残っていくためには学び続け、適応していくことが必要である。
さらには、学び続けることはただ必要というだけでなく、それ自体楽しい。 というか、楽しいものであるべきだと思う。 好奇心のままに気になることを学んでそれが実際の生活や仕事に生きるなら一石二鳥だ。 楽しいから趣味としても成り立つ。 何かを知ることに喜びを見つけられるように心がけて生活していきたいものである。
2024/4/16 不器用すぎて人と話せない
他の人が話しているのを見ていると、自分だけうまく話せていないような感覚になることがある。 自分が話すときの間や空気感、抑揚など、話の内容だけでなく話の仕方も少し違う気がする。
不器用すぎて人とうまく話せない。 そんな感覚がある。 不器用といっても手先を動かすのが下手という意味ではない。 むしろプラモデルを作ったりするのはそこまで苦ではないほうだ。 ここでいう不器用というのは人とのコミュニケーションでの不器用さである。
仕事の話や、議論などはある程度できるが、興味のないことだと言葉が出てこなくなる。 とくに雑談などがしづらい。 基本的に自分語りが得意なほうではない。 コミュニケーションの記事や本を読むと内向的な人は聞き役に徹するのが良いということをよく見るので、 聞き役に回ってみるが、ウマい感想も言えないので盛り上がりに欠ける。 それに、苦手とはいっても相手ばかりに話させておくのは幾ばくかの申し訳なさも感じてしまう。
自然に雑談ができる人は、なんだか人間らしい、社会人らしいという風に思える(自分だけ?)。 やるべきことや仕事があると、話す余裕がなくなってしまう。 目の前の作業をこなすだけの機械になってしまう。 仕事なら、それはそれでいいことなのかもしれないが。
いざ雑談になったとしても自分から話すことが難しい。 話を振られて話し始めることが多い。 とくに3人以上の会話になると難易度が上がる気がする。 話し始めるタイミングがわからなくなる。
何とか頑張って話し始めると人が話すタイミングにかぶったりする。 人の話の内容を聞いて頭で処理し、自分の考えを適切なタイミングで伝える。。。 会話という単純そうなことでも意外と高度な情報のやり取りが行われているのかもしれない。 こんなことを考えているから言葉に詰まったりするのだろうか。
かえって何も考えずにその場の感覚に身を任せるのがいいのか。。。
そうはいっても苦手なことをうまくやろうとするのは疲れる。 社会で生活していく限り人と会話することは多いし、雑談することもあるだろう。 避けては通れないなら無理せず自分のできる範囲でやっていくのがいい。
2024/4/1 なぜ同じ分野の本を何冊も買うのか
SNS上で、なぜ量子力学の本を何冊も買うのか理解できない、みたいなみたいな投稿を見たことがある。 確かに同じ分野の本を何冊も買うのは一見するとムダに思えるかもしれない。
しかし何かの分野を専門的に勉強したことがある人ならそうは思わないだろう。 たった1冊の本で1つの分野を学びきることなど不可能であることを知っているはずである。
1冊の本で扱える範囲には限界がある。 たとえば量子力学の本を1つとっても著者によってかなりの特色があり、目指したいゴールにもかなり幅がある。 極端な話、朝永振一郎の量子力学とJ.J.Sakuraiの量子力学を見比べてみると、進め方や扱っている内容、雰囲気もかなり違うだろう。
前者は量子力学の成り立ちについて歴史的な背景を交えながら解説しているが、後者は現代的な量子力学の教科書といった具合だ。 ただ、どちらかが優れているというわけではなく、どちらも良書であると思う。 また、入門書と進んだ勉強がしたい人向けの本では内容的なレベルも扱っている事柄も違うのが普通だ。
そうなると何でもかんでも書けるわけではない。 扱うトピックは自然としぼられてくる。 読者が必要とするものが書かれているかどうかは自明ではない。 読者がその時に必要な情報に応じて本を選択するということになる。
結果的に、本棚に同じ分野の本が増えていくというわけだ。 むしろ本棚にある同じ分野の本の数で、その人がどれだけその分野に関心があるかを図ることができる。
だからまた場の量子論の本を買うことはけしてムダではないのだ。 そう言い聞かせながら今日も本をポチる。
2024/3/20 理論物理をやるために必要なこと
物理学は高度に細分化されいていて、実験と理論もしっかり分かれている。 なので物理学をやるひとには実験屋と理論屋がいる。
私は修士と博士を通して理論物理学の研究をしていたので、後者について必要なものは何かを紹介してみる。
理論屋は実験をしないので測定器などの大掛かりな機材は不要である。 道具としては紙とペン、それからシミュレーションを行うためのPCがあれば充分である。 あとは1つの物事を考え続ける体力があれば何とかなる。
研究はうまくいかないことが多い。思いついたアイデアの9割は徒労に終わることも珍しくない。 でも残りの1割でうまくいくことがある。 それをつかむためには考え続ける体力が必要だと思う。 上手くいかなかったときにそこで考えることをやめてしまっては研究が止まってしまうからだ。
そして理論物理は計算やシミュレーションが主な作業になってくるので、 実際に体を動かして解決するというよりかは 頭の中で視点を切り替えてみたり試行錯誤してみたりといった解決法を取ることが多い。 つまりは実験家と比べて思考を続ける力がとくに重要である。
実際、優れた研究者は頭の回転が速いだけではなく、あきらめずに考え続けられるような気がする。 極端な例でいうとアインシュタインは特殊相対論を発表してから、さらに考え続け、慣性系に依存しない一般相対性理論に至った。 その道中では数学的な困難もあったりして紆余曲折あったらしい。 自分が解くべき問題を考え続けることが生んだ成果である。
本の計算を追うときなどでも自分が重要だと思ったところについてはあきらめずに考え抜く癖をつけたいものだ。
2024/3/7 積読のすすめ
本は一期一会だ。
書店やECサイトで見かけたときにいいなと思った本はできるだけその場で買うようにしている。 もしくはタイトルを控えておき、後日買う。
いつか買おうと思っていると気づいたら絶版で手に入らないか、べらぼうに値上がりして買いにくくなる。 なぜかいい本ほど絶版になったりする。 経験則だが、とくに専門書は絶版になりやすいので注意が必要だ。
買った本は必ずしもすぐ読まなくてもいいし、すべて読み通さなくてもいい。 自分が気になるところを何回も読むだけでもいいと思っている。
そういう買い方とをしているので、必然的に積読が増える。 でも後悔はしていない。
後で気になった時にすぐに手に取ることができる喜びのほうが大きい。 メリットが大きいと感じる。
本に書いてあることがすべて自分にとって有益である場合というのは少ない。 たまに、これは自分のために書かれた本だ、というようなベストマッチがあることもあるが、稀なことである。 それを待っていたらいつまでたってもいい本には出合えない。 気になるものは読んでみればいい。
なので本に期待することとしては、1つでもその時の自分が感化される情報があるかどうか、だと思う。 どれだけ短くても、たとえその本の中の1文だったとしても自分にとって興味を惹かれる内容なら買う価値がある。
とはいえ、本をためすぎて家の床を抜いたりしないように注意が必要である。
2024/2/26 わかっているフリが上手い人ほど社会でうまくいく?
何か物事に対して、わかっているフリが上手い人のほうが社会で成功している印象がある。
会社では常に利益と効率が求められるので、合理的に動く必要がある。 そうなると、人に自分のした仕事などを説明する場面が出てくる。 そんなとき、自分がやったことやその周辺について、すべてわかっているかのように振舞える人が 信頼を得て、出世していくのではないだろうか。
確実な根拠があるわけではないが、そんな印象を持った。 極端な場合でいうと、会社の社長などは社員の業務の細かい内容などを知らなくても すべて把握しているようにふるまうのがうまいと思う。
ところで、アカデミックだと知ったかぶりは極悪行為である。 知らないことを隠すことは学ぶことを放棄することに等しい。 自分が知らないことを認めることが学ぶことの一歩である。 このあたりのギャップも研究者が社会に出るときの壁の1つになっているかもしれない。
一般的な人は他の人からものを教えてもらうとき、 できるだけそのことについて詳しい人から教えてほしいと思う。 それはどこから判断するかというと、その人の普段の仕事や経歴、説明の仕方であるだろう。
とくに説明の仕方について、はっきりとした言い方をせずに回りくどい説明をされると、 その人の理解度について疑問を持ったりする。 そうなると余計に説明が頭に入ってこなくなったりして困る。
一方で、個人的には物事について知れば知るほど簡潔な説明が難しくなっていくと思う。 そのことに関係する多くの事柄の中で何が重要なのかを整理したうえで、 相手の知識量に合わせたレベルで説明しないといけない。
もともとそのことについて、そこまで深く知らなければ上記の理由から、説明方法の選択肢が多くないはずなので 手持ちのカードを切るしかなく、割といい加減な対応ができる。 意外とそれで充分だったりする。
知識が増えてくると、どの方法で、どの言葉を使って説明すればいいのかわからなくなる。 また、わかっていることが増えてくるということは何がわからないかもわかってくるということで、 自分が知っていることは氷山の一角に過ぎないことを自覚しだす。 そうなると必然的に謙虚な物言いになって、回りくどい表現を使ったりしてしまいがちである。
でもこれって説明が下手なことの言い訳だろうか。 頭の中で知識が整理できていないだけかもしれない。 というか、人に説明する準備ができていないのだと思う。
なので何かを学ぶときは、人に説明することを頭に入れながら学ぶといいだろう。 できれば3通りの方法で説明できるようにしておくといい。 たとえば専門用語を使わない方法、専門用語を使って簡潔に説明する方法、ほかの分野との関係を示しつつ説明する方法などがいい。
こんなふうに用意しておけば、どんな場面でもうまく説明できるに違いない。 博士人材が社会で活躍できる機会も増えるかもしれない。
2024/2/11 勉強のストレスは勉強で解消できる
現代はとくに変化が激しい時代なので、社会で生き残っていくためには常に努力が必要だ。 努力の方法の1つに勉強がある。
仕事や学問において、自分の能力を上げたいときや新しい知識を身に着けたいときに勉強をする人は多いだろう。 また、学生であれば勉強しなければならない場面が多いと思う。 新しいことを学ぶことは刺激や楽しさもあるけれども、苦しみを伴うこともある。 自分が思い描いたように進まなかったり、勉強が結果につながらないこともあるだろう。
そういうときはストレスがたまる。 これ自体は自然なことだ。 人は自分の理想と目の前の現実のギャップにストレスを感じる。 問題なのはストレスが溜まって健康を損なうことだ。
勉強しなければならないことはわかっているが、ストレスが溜まって集中力が下がったり 体調が悪くなったりして続けられない。そんな経験をしたことがある人も多いのではないか。
そんなときはいったん休憩して心身をリフレッシュさせることが必要だ。 この時にリフレッシュ法としてオススメしたいのが勉強によるストレス解消法である。
勉強でストレスが溜まっているのに何を言っているのか、と思われるかもしれない。 しかし勉強でたまったストレスを勉強にぶつけて解消させれば、勉強し続けられる。 勉強し続けられるとより深く学べる。 より成長できるというものだ。
具体的な方法としては今自分が取り組んでいるものとは違う分野の勉強をすることで リフレッシュを図る。 たとえば受験勉強の場合は科目が複数あるはずだ(国語、英語、数学、化学、物理学、生物学、地理、歴史など)。 自分が国語の勉強していたとすると、数学や物理などのできるだけ違う科目に取り組むようにする。
また別の例を考えてみるとプログラミングの勉強をしていた場合に、 資産運用の勉強や自己啓発本を読むなどしてみる。
できるだけ違う分野に手を出すのがいい。 そのほうが新しい刺激が入るのでリフレッシュしやすい。
この方法の良いところは、リフレッシュのために選んだ勉強先でまた新しい知見が得られて、 もとの勉強でも生かせることがあることである。 相乗効果が期待できる。
たとえば、上の例ではプログラミングでPythonの勉強をしていたとする。 その勉強に疲れて資産運用の勉強をしたとする。 資産運用の結果をPythonで可視化してみたり、データ分析から意味のある予測ができるかもしれない。 それによってPythonの知見も広がる。 こんな具合に一石二鳥の効果が期待できる。
2024/1/31 年度末は体調崩しがち
毎年なぜだか1, 2, 3月に体調を崩すことが多い。 病気をしなかったとしても何となく体がだるかったり、頭が重かったり、気持ちが落ち込んだりして調子が上がらないことが多い。
同じような症状の人はいるのだろうか。 20代前半のときはそんなこともなかったのに後半になってから年度末の時期にしんどくなるようになったのだ。
体調が悪くなる原因について考えてみようかと思う。 原因がわかれば対策もできるというもの。 同じ理由で体調が悪い人にも役に立つかもしれない。
まず考えてみた。 1, 2月というのは日本では1年の中でもっとも寒い時期である。 日によっては氷点下の気温になることもあるだろう。
気温が下がると体も冷えやすくなる。 体が冷えると免疫力が下がって、いろんな感染症にかかりやすくなる。 ということで体調を崩しやすい時期だといえる。
続く3月では気温が上がってくることが多いが、 季節の変わり目の時期なので気温や気圧が変化しやすいのが特徴だと思う。 気温と気圧の変化が激しいと自律神経が乱れやすくなって、ストレスや疲れがたまりやすくなる。 そうなるとやっぱり体の免疫力が下がって体調を崩すことにつながる。
すぐ思いつくのはこのくらいだろうか。 改めて考えてみると、気温が下がりやすいことと天候の変化が激しい季節であることが 体調に影響する原因になりそうだ。
対策としては、意識して体を冷やさない工夫を取ることがあげられるだろう。 たとえば、水分補給は温かい飲み物でとるようにして、湯船に毎日つかり、 服は体を冷やさない冬用のものを着るのがいい。
こんなことは当たり前のことかもしれないが、 生活が忙しくなってくると普通のことができなくなってくるものなので 肝に銘じておくべきだと思う。
気圧の変化はどうしようもない部分だが、睡眠時間を確保しつつ規則正しい生活を心掛けて 自律神経を整えるのが近道だろう。 結局はいつもの生活を他の季節以上にきちんと守るように心がけるのが大事だ。
2024/1/24 博士に就職は難しいのか
博士課程に進学すると就職が難しくなるということはよく聞く。 しかし、私はそうは思わない。
現に自分の場合もそこまで苦労することなくITエンジニアとして就職することができた(運が良かっただけかも?)。 個人的な意見としては、就職が難しくなるかどうかは、その人が仕事に求めることによると思う。
たとえば、自分がこれまで研究してきた分野の知識が生かせる仕事であったり、博士号持ちとしての特別待遇が欲しいということになると少し門が狭くなるのかもしれない。自分の現在の研究分野と同じ分野の研究職となればなおさらだ。
良い待遇の仕事を見つけるのが難しいのは博士課程卒に限ったことではない。 また、もともと研究分野は世間一般でいえば狭いことが多いのがふつうである。
とくに物理の中でも理論物理学専攻であれば、実験技術が身につくわけでもないし、グループでの作業も少ない。 ゲージ場の量子論や素粒子、原子核の知識が日常生活で直接生きてくることはまずないといえるだろう。
しかしそれでも研究を通して身につく力はある。 たとえば、研究テーマを決めるための課題設定能力であったり、仮説検証を進めていくための論理的思考力、未知の問題に直面した時の調査能力、数値計算やLaTexの環境構築出られるプログラム周りの知識があると思う。 これらの能力はすべて社会に出てからも役に立つ汎用的な力である。
近年はAIの発展で事務作業的な仕事は少しずつ自動化されていく傾向にあるが、上記で述べたような能力はそういった時代でも重宝されるものである。
今は新しい技術によって社会が変革していく時代なので、今までのやり方が通用しなくなり業務の進め方も変わっていく。 そういったときに新しい方法や技術を生み出して対応していく必要があるが、先にあげた能力は新しいことをやるために必要な力だからである。
そういった事情もあるので、博士課程に進学したからといって就職できなくなるわけではない。
博士課程からの就職活動というのは、学部の就活と比べると転職活動に近い感覚があるので、今の分野に縛られずに広い視野を持って業界を探してみるのがいいと思う。
最後に物理系の博士課程の就職先として有名なものを上げておく。 アカデミック以外で多いものはITエンジニアや銀行員、シンクタンク、企業の研究職、だと思う。 どれも論理的思考力が必要な職種だと思う。ほかにも博士が持つ能力が生かせる仕事はたくさん眠っているはずなので自分でどんどん切り開いていくくらいの姿勢がいいのではないだろうか。
2024/1/18 学会発表のメンタル管理
大学生や大学院生で研究している人は、 1~3月ごろになると学会やセミナーなどで発表する機会が増えると思う。 とくに卒業研究の発表会などが控えているという人も多いだろう。
人前で話すことが得意でない人にとっては少ししんどいかもしれない。 発表の日が近づいてくると落ち着かなくなったり眠れなくなったりすることもある。
しかし発表で自分の成果を人に伝えることはとても重要なことであり、アカデミック以外でも必要なスキルなので 慣れておいたほうがいい。 どんなに優れた成果も人に知られなければ生かされることがないからだ。
慣れる方法として手っ取り早いのが、とにかく場数を踏むことである。 何度もやっているうちに、自分なりのメンタル管理がわかってくる。
そんなに何度も発表するほど成果がない、という人もいるかもしれない。 これは問題ない。 たいていの場合、同じ研究会で同じテーマで話すのはタブーだが、ほかの研究会であれば発表できる。 あまり規模の大きくなさそうなものや同じ分野で発表しやすそうなものを選んで研究発表できる。
この方法の良いところは、発表すればするだけ業績になることである。 当たり前かもしれないが、アカデミアに行くにしろ就職するにしろ、業績は多いに越したことはない。 練習がてらに業績も増えるので一石二鳥だと思う。
しかしそうはいっても発表自体は緊張するもので、とくに最初のうちは胃が痛くなるだろう。 そこでメンタル管理の簡単な方法を考えてみる。 まずはごく単純なことだが、カンペを作ること、3回は練習すること、発表の最初は思っているより少し大きめの声を出すように意識すること、が挙げられる。
カンペは不要という人もいるかもしれない。 アドリブで発表するほうがアドレナリンが出て、いい話し方ができるという人もいるかもしれない。 それでもカンペを準備しておくことはおススメできる。
カンペを準備するということはあらかじめ話すことを考えておくということである。 これが大切である。 いくら本番でアドリブができるからといっても、ひととおり説明の流れを考えておいたほうが確実にうまく話せる。 カンペを作ることで内容を夜行性を再確認できることがいいのであって、必ずしもカンペを見ながら話すということではない。 むしろ見ないほうが自然に話せる。
練習は必ずしたほうがいい。 カンペを作ったら、それを見ないで話せるように練習することが大切である。 また、練習は1回ではなく3回はやったほうがいい。 まず1回目では思ったより話せないことに気づく。 続く2回目では前回よりも少し話せるようになり、感覚がつかめてくる。 3回目では時間配分なども意識して話ができるようになってくる。
数回練習しただけで自分の成長を感じることができるはずだ。 発表前はこの感覚が重要だと思う。 練習するごとに話せるようになっている、本番でも話せるはずだ、という自信がついてくる。 自信がつくと少しはメンタルが安定してくる。 メンタルが落ち着いたら少し休んだりしてバランスを取りながら過ごすといい。
次に瞑想を取り入れてみることもおススメできる。 発表前日などは心に不安があって休めないことがある。 先述したような準備をしっかりやっていれば少しマシだが、それでも気持ちが落ち着かないこともある。
そういうときは簡単に瞑想をして心を落ち着けるのがいい。 瞑想といっても難しいものではなくて、静かな環境を用意して目を閉じて自分の呼吸に意識を集中させるだけである。 本格的な瞑想がしたい人は検索するなりして調べてみるといいかもしれない。
だが、即席の瞑想でも結構心が落ち着く。 目を閉じて呼吸に意識を向けていると、いろいろな考えが浮かんでくるので、そのたびに呼吸に意識を戻すようにする。 そうすると、余計なことを考えないので頭を休めることができる。 目安としては3分から5分程度で十分だと思う。
タイミングは寝る前がオススメできる。 頭を休めることができたら、そのまま寝ることができる。 発表の前日には早めに寝て体力を温存しておくといい。
いろいろ書いてきたが、結局は十分に準備しておくことが大切である。 当日は余計なことは考えないようにして、目の前のことだけに集中するといい。 頑張ってきた自分信じればいい。
2024/1/14 現代人の疲れの原因 - その2
先日、現代人の疲れの原因について考えてみた。 結論を言うと、先々のことや過去のことについて考えすぎてしまうことが疲れの原因ではないか、ということだった。
確かにそれもある。 しかし現代人を疲れさせるものはまだあるような気がした(現代人の疲れはハンパじゃない)。 それはネットの広告やSNSである。 ネットで調べ物をしているときの広告を見たときや、SNSで誰かの投稿を見ているとき、他のことをしているときよりも疲れやすいと感じた。 そう感じる人も多いのではないだろうか。
これはなぜだろう。 まずネットの広告について考えてみる。 ネットで調べ物をした後と本などで調べ物をしたあとでは疲れの感じ方が違うと思った。 調べる媒体が違うので当たり前かもしれないが、 ネットのほうが情報の信ぴょう性が薄いので1つの記事だけでは判断できずにいくつかの記事を調べてようやく結論に行き着くことが多い。 そうなると調べる時間が長くなりやすく、疲れやすいのかもしれない。
もちろんそれもあるが、一番の違いは調べる際に広告があるかどうかだと感じた。 本には広告はない。基本的には調べようとしている分野の周辺情報しか目に入ってこない。
しかしネットで調べ物をする際は企業や個人のブログが出している記事を参考にすることが多い。 そういった記事にはたいてい広告がついている。 最近だと広告はユーザーごとに最適化されているので、自分のブラウザの閲覧履歴に基づいたサービスや商品が広告として出てくる。 これはその時調べようとしているものとはまったく関係ないことがしばしばである。
ということはユーザーからすると広告というのは思考のノイズになる。 広告でおススメされている商品などを無視しながら目的の事柄を調べなければならない。 これは本で調べる場合よりも脳で行う処理が1つ多いことになるので脳が疲れやすくても不思議ではない。
さらに広告というのはユーザーの気を引くように作られている。 できるだけ多くの人の目にとまって、商品やサービスを買ってもらうことが目的だからだ。 そういう事情があるので、ユーザー側としても無視するのに多くのエネルギーがいる。
あるサイトを見た時に気になる情報が広告にあるが、 それをクリックしないようにしながら調べたい内容を記事の中から探さねばならないのだ。
さらに、ユーザーの気を引くやり方にもいろいろあるが、ショッキングな内容でユーザーの気持ちを乱してくるものも多い気がする。 バナー漫画の広告や、怪しげなゲームの広告などでよく見るやり方である。 こういうものが視界に入るとそれだけで知らず知らずのうちにメンタルを削られているような気がする。
次にSNSの投稿についても考えてみる。 人がSNSを利用するのはどんな時だろうか。 企業などのマーケティングとしてSNS運営をしているような特殊な状況でない限り、おそらく暇な時間や昼休みなどの休憩時間だろう。
そういう休憩時間に、何かおもしろい投稿がないかな、と思ってSNSアプリを開いたりする。 このとき投稿は本当にたくさんあるので、おもしろいと思うものだけではない。 必然的に目的以外の投稿を目にすることになる。
そういった投稿の中には、ショッキングな内容や強い言葉で人の感情を揺さぶってくるものもある。 また、考えさせられたり、議論を読んだりするような深刻なものもあるだろう。
そんな投稿を見ると、心が乱されたり気持ちの浮き沈みが激しかったりして疲れる。 休み時間なのに余計に疲れるのである。 休み時間はリラックスできることをして、できれば心身ともに休めるのが理想だと思う。
ここまでいろいろ考えてきて、作業を乱されたり、意図しない情報の受け取りでメンタルが浮き沈みすることが疲れの原因の1つだといえる。 上記の話はあくまで個人的な経験からくるものだが、同じようなことで疲れている人もいると思う。
この問題への対応策として、2つ用意してみた。 まず、疲れているときはSNSを控えること。 次に、まとまった情報を調べるときはできるだけ書籍を利用するということである。
1つ目についてはほぼ自明だと思う。 SNSは心の休憩にはならないので、疲れているときは余計なことを考えないようにして早めに寝るのがいい。
2つ目については少し極端かもしれないが、本から情報を得るならば広告が目に入ることもないのでいいかもしれない。
2024/1/11 現代人の疲れの原因
年初めだったので、今年の目標を考えていた(1つ前の投稿)。 そのとき、なんだか他のことをするよりも疲れた気がしたので理由を考えてみた。
1年を通しての目標を考えるためには、将来のことを考える必要がある。 こういう未来のことを考える行為というのは人を疲れさせる原因になるのではないかと思った。
現在のことを考えるのであれば、すでに考えるべき対象があるので、ただ単にそれについて考えればよい。 しかし未来のことはどうなるかわからないので、どうなるか想像しなければならない。 想像したうえで、どうしようかと考えることになる。 このように1つステップが多いので余計に脳を使わないといけない。 ということは余計に疲れるはずである。
現代人は何かにつけて成果を要求されるものだと思う。 成果を出すためには目標立てることになる。 目標を立てるためには、さっき言ったように脳みそをたくさん使わないといけない。 なので現代人の疲れの原因にもつながっていそうである。
先のことを考える癖が染みついていると、常に先のことを考えながら動くようになっていく。 これはかなり疲れやすくなる。
さらに、疲れやすい人は過去のショックな出来事やSNSの投稿などを思い出して、つらつらと考え込んでしまう。 過去のことはどうにも変えられないので、考えてもどうしようもないのに考えて疲れるので、良いことはない。
未来のことも確実なことは言えないので考えすぎは良くない。 考えすぎは良くないがキリがないのでいくらでも考えられてしまってよくない。
結局のところ、過去とか未来とかのどうにもできないことや不確実なことを考えすぎることで 脳が疲れてしまうのが現代人の疲れの原因ではないだろうか。
現代人の疲れやストレスの原因は人間関係がメインだという話を聞いたことがある。 人間関係からくる疲れで想像できることは何だろうか。 たとえば、ウマが合わない人の過去の言動にもやもやするとか、 来週の飲み会で人と話さないといけないけど何を話していいかわからない、といったことである。
こういう悩みも突き詰めて考えると過去や未来のことにとらわれているように見える。
考えることは大切なことだが、常に思考しているのはしんどい。 効率的ではない。 いざという時にちゃんと考えるためにも、頭を休めることが重要である。
過去や未来にこだわりすぎず、「今」に注目して生活してみるのがいいかもしれない。 具体的には「今」どうしたいか、「今」どんな状態か、「今」何ができるか、といったことに意識を集中させてみる。 普段から悩みすぎる人はそれだけでも少し気が楽になるかもしれない。 考えることが減るので脳の負担が減ると思う。
とくに寝る前は、あれこれ考えすぎるのは良くない。 睡眠の質も悪くなってしまう。
ということで、 考えすぎて疲れた時は「今」を意識しながらできるだけ脳を休めるようにして早めに寝てしまうのがいいだろう。
2024/1/7 エンジニアとしてのキャリアについて
新年も始まったので、今年の目標や将来像について考えていた。 今年で30歳になるが、この先40、50といった感じで年を重ねた時にどんなITエンジニアになっていたいのかを考えようとしてみた。 とくにエンジニアとしてのキャリアパスについて考えていたが、あまり具体的には決まらなかった。 自分としてはエンジニアを続けていくなら生涯コーディングをして技術を高めていきたいという気持ちがあるので、 マネジメントよりもスペシャリスト目指すべきなのだろう。 しかし、いまいち具体的なイメージがわかなかった。
そこで、ネットでQiitaやZenn、その他のサイトでエンジニアのキャリアパスについて調べてみた。 一般的には50歳くらいになると、会社からマネジメント的な立場を求められるようになったりしてコーディングから離れる人が多いようだ。 どちらかというと、システムの要件定義や設計といった上流工程がメインになり、チームの運営や若手の育成といった業務がメインになるらしい。 ただ、少数ではあるが生涯プログラマとして活動している方もいるようである。 前例があるなら希望はある。 年を取ると体力や新しい知識の吸収力は衰えるのは仕方ないが、経験はたまっていくのでそちらで何とかカバーできないだろうか。
体力の衰えはあっても新しい技術に対する好奇心を忘れず、常に時代の流れを追って行けるならプログラマを続けていける気がした。
また、新しい問題が出てきたときに対応できる柔軟性も大事だろう。 ここ最近ではAIの発展が目まぐるしく、新しい技術がリリースされ続けている。 そうなると技術を取り巻く環境も変わってくるだろうし、新しい問題も出てくるだろう。 そういった状況に対して、新しい技術をキャッチアップして解決していける能力が大切だと思う。
さらには自分で課題を発見する能力も大事だろう。 プログラマやエンジニアとして活動を続けていくには価値を示し続ける努力が必要である。 プログラマとしての価値を示すには価値のあるシステムやサービスをリリースすることだと考えている。 このときの価値というのは顧客にとっての価値である。 顧客にとっての価値あるものとは顧客の抱えている課題を解決してくれるものである。 なので、価値のあるシステムを作るには顧客の課題を知らなくてはならない。 課題というのはひとりでにわかるものではないので、顧客に対してヒアリングしたり、状況調査をしたりといった活動が必要である。 このための能力が課題発見力だと思う。 結果的に課題発見力を磨くことがプログラマ、エンジニアを続けていくうえで重要といえる。
世間的にはデータが重要視される時代が来ていて、何をするにしてもデータが必要になっている。 AIを学習させるためにもデータが必要だし、アプリケーションを作るにしてもデータの管理は必要になってくる。 個人的にもデータを扱う技術は今後もっと重要になっていくのではないかという考えがあるので、 データベース周りの技術を深彫りしつつ、AIとアプリケーション開発の両方の技術を深めていくのがいいかもしれない。
コーディングや実装というのはシステム開発工程のごく一部である。 プロジェクトで実装・開発にかかわれる環境というのも当たり前ではない。 会社の中でプログラマが続けにくいのなら、コーディングができる環境を探して別の会社に移るのもいいと思う。 独立してフリーランスとして細々と続けていくのもアリだ。
具体的ではないが、なんとなく方向性が見えてきたような気がした。 まあ、先のことは誰にもわからないので考えすぎても疲れるだけだ。 いったん休憩して別の機会に具体的に考えてみよう。
2024/1/5 疲れた時の過ごし方
年明けからショッキングなニュースが多かったので、なんとなくメンタル的に疲れた。 そういう人もいるかもしれない。自分もその一人だ。
ただでさえ冬は寒いし日照量も減るのでメンタル的に落ち込みやすいのに、 不安になる出来事が立て続けに起これば気持ちが不安定になるのは普通のことだと思う。 不安になるといろいろ考えてしまう。 現代に生きる社会人は考えることが多いので、疲れやすいのだ。
そういうときはSNSなどの刺激から離れて、自分が好きなことに没頭したりする。 たとえば休日に時間を取って本を読んでみたりする。 日常を忘れて頭をリフレッシュさせるのが大事である。 趣味がない人は瞑想がオススメ。 上手くいけば気持ちを落ち着かせられる(詳しい方法は「瞑想」や「マインドフルネス」で検索)。
あとは少しいいものを食べて風呂につかり、早めに寝るのが吉だ。 自分の場合はこの生活ができれば1, 2日でメンタルが安定してくる。
生きていれば疲れることは普通のことなので、上手く付き合ていくことが大事だと思う。