2025年後半
2025/8/17 楽しむ心とモチベーション
長く1つのことを続けるとうまくモチベーションを維持することが難しくなる。 何か物事に取り組むためのエネルギーや情熱といったものが枯渇してしまったようになるときがある。 そんな時はどうすればいいのだろうか。 最近そんなことを考えていた。 ここのところ、どうにも作業のモチベーションが上がらないことがあったからだ。
そもそも情熱やモチベーションはどこからやってくるのだろうか? それは人によるだろうし、取り組むタスクの内容にもよるだろうと思う。 一般論はわからないので、まずはN=1の自分の場合を考えてみる。 個人的には、これまでの経験から言ってモチベーションが高くなるのは、 新しいことを知ることができるときや、それによって自分の視野が広がったと感じるとき、 または自分の能力が向上していることが感じられるときだろうと思う。 それらに共通する感情は楽しさだ。 物事を楽しむ心だと思う。
何か自分の行ったアクションに対して楽しいと感じることができれば、またそれをやりたくなる。 もっと深く理解したくなったり、工夫をしようという気になったりする。 楽しいという感情が新しい情熱やモチベーションを生み出す。 もちろん、この考え方には賛否両論あるだろうが、個人的には楽しいかどうかが重要な観点だと思う。
あるタスクについてモチベーションが低い状態というのは、 自分がそのタスクを楽しめていない常田であるということを意味する。 逆に言えば、モチベーションを上げたければ、そのタスクを楽しめればいいはずだ。 まぁ、そうはいっても楽しい作業ばかりやってくることはない。 とくに仕事であれば、自分の意思にかかわらず、事務作業や雑務もこなさなければならない。 ではどうすればいいか。
話は単純で、そのタスクを楽しめるように努力することだ。 どんなものごとであっても自分の考え方によってその見え方は異なってくる。 たとえば、背景を知らなければ単純な事務作業であっても、 実はそれは誰かの役に立つ重要な作業かもしれない。 自分の思考をハックして何事も楽しむことができる癖を身に着ければ モチベーションのコントロールができるようになるに違いない。
2025/7/27 演繹と帰納
理論を構築するときの方法として、演繹法と帰納法がある。 演繹法は、一般的な原理や法則から特定の結論を導き出す方法であり、 帰納法は、特定の事例や観察から一般的な原理や法則を導き出す方法である。 数学や理論物理学では、演繹法が主に理論の構築に用いられる。 とくに理論物理学ではできるだけ少ない仮定から出発して、 できるだけ多くの予測ができる理論を構築できることが望まれる(さらにその予測結果が実験結果と矛盾しないことが重要である)。
一方で、帰納法は生物学や医学、社会学などの実験や観察からのデータ収集がメインになる分野で用いられることが多い。 各分野におけるデータから一般論を導くためのツールとして、統計学が強力である。 よって、統計学は本質的に帰納的な考え方にもとづいている。 しかし統計学を基礎づける確率論は数学の理論なので、演繹的である。 この違いが統計学を学ぶときに初学者を混乱させる。
数学や物理のロジックになれた人が統計学の本を読むと、 定理と証明のスタイルではなく、事例から説明するスタイルに出会うことになるからである。 多数の事例が並ぶテキストに翻弄され、何が重要なことなのかがわからなくなる。 事実から一般論へのカギを見つける必要がある。
本来はどちらの視点も重要なので、この機会に勉強してみようと思う。