2025年前半
2025/1/26 よく寝ることはよく学ぶこと
最近、悟ったことがある。 長い人生の中で、ここに到達できたことは大きな意義があるだろう。 何かというと、「よく寝ると調子がいい」ということである。 あまりに自明かもしれない。 しかし自分にとっては目からうろこだったのだ。
今まで睡眠時間は6時間で十分だと思っていた。 6時間でも次の日は何とか活動できていたからである。 しかしここのところ体調が悪かったり頭の働きがよくないという自覚があった。 改善するためには現状を変える必要があった。 そこで、睡眠時間を1時間増やしてみるという英断をしたのだ。
すると、次の日のパフォーマンスが上がった。 定性的な話になるが今までよりも頭がよく動き、疲れにくい感じがした。 これは効果ありだと思い、最近は睡眠時間7時間を意識して生活している。 疲れがひどい日は8時間くらい睡眠時間を確保できるとよりよい。 とくに休日にはしっかり寝ておくと次の週に疲れを引き継がないで済む。 自明な行動から非自明な結果が得られたといえるかもしれない。
結局のところ人間も動物なので、生き物としてきちんと動作するように普段から調整しておかないといけない。 逆に、あまり睡眠時間をとらずにパフォーマンスを出している人々の体はどのような仕組みになっているのか、疑問に思えてきた。 休息の取り方が違うのか、疲れやすさが違うのか、謎は深まるばかりである。
2025/1/22 風呂に入ってもとくに閃かなかった話
誰しも考えごとをすることはある。 たとえそれが大事なことであっても、しょうもないことであっても、思考は人の大事な営みだと思う。 私は普段からよく考えごとをしがちで、何か作業をしながら頭の中では別のことを考えることがある。 皿洗いや掃除といった単純作業と考えごとは相性がいい。 とくに相性がいいのは風呂だろう。
風呂に入るときは基本的にルーティンワークで頭を洗ったり体を洗ったりするわけで、 とくに脳みそのメモリを消費しない。余った分のリソースで存分に考えごとをすることができる。 しかも湯船につかるときには何もしないことになる。 気持ちもリラックスできているのでいいアイデアが浮かぶかもしれない。
ところでアルキメデスは風呂で問題解決のアイデアを思い付いたというが、 実際はそんなにドラマティックな出来事はなかなか起こらない。 よく風呂で考えごとをするが、問題を改善できそうなアイデアや斬新な発想が出てくることは極めてまれである。 風呂に入るのは夜だが、たいていは今日あった出来事を反芻したりして、プチ反省会で終わるのが常だ。 もしいいアイデアを思い付いたとしても裸のまま走り出したりせず、ゆっくり出るのがいいだろう(冬場のヒートショックは怖い)。
風呂は考えごとをする場として素晴らしいが、実は物理学を学べる場としても優秀である。 ちょうどアルキメデスが発見したように、湯を張った浴槽につかると自分の体積と同じだけ水位が上がることを確認できる。 浮力がどれだけ働いているか、ということは測定してみないといけないが、 どのくらい水位が上昇したかがわかれば、およその浮力も見積もることができる。
また、水という物質はそれ自体が興味深い。 ほかの物質とあまり相互作用せず安定であり、固体から液体、気体へと相転移をする。 温められた水は水蒸気として浴槽から空中に飛び出し、浴室の壁に当たると冷やされて再び液体に戻る。 もし入浴剤を入れるなら、水が水溶液になる瞬間を観測することができる。 静かな水面に振動を加えて波が伝わっていく様子も見ることができるだろう。 音や地震など、波が関係する物理現象はたくさんあるが、 水面波は目で見ることができるので、もっとも物理の勉強になるのではないかと思う。 風呂に入り終わって、水を抜くために浴槽の栓を抜くと出口のところに渦ができる。 渦は海や大気中などでも見られる現象であり、流体として興味深い。
このように、風呂にはおもしろい物理がたくさん詰まっている。 こういった身近な物理のイメージを頭の中に蓄積しておくことで、物理の勉強がはかどる気がする。 とくにおもしろいことは閃かなかったが、流体の運動がおもしろかったのでよしとしよう。
2025/1/5 季節感を得るには
正月だが、クリスマス同様に部屋にこもって本を読んだり作業をしていると季節感というものがなくなってくる。 正月っぽいことをしようとして初詣には行ったが、帰ってくるとまたいつもの日常に戻ってしまう。 単発の季節イベントでは、この季節欠乏症には効果が薄いらしい。
いっそのこと、門松でも買ってきて家の前に置いてみたらいいかもしれない。 出来れば安く済ませたいので玄関における小さな奴でもいいかも、などと考え始めていたが、 そんなことをうだうだと考えているともう三が日は過ぎてしまっていた。 もう正月の飾りは片付け始める時期ではなかろうか。 相変わらず季節の移り変わりは早いものだなぁ、と嘆く正月になりそうだ。
ふとキーボードをたたく指がひりひりするなと思ったら、指にミミズ腫れのような傷があるのに気付く。 そういえば、朝ご飯に餅を焼こうとしてやけどをしたのだった。 オーブントースターで餅を焼いていたのだが、取り出すときに内部の暑い部分に指が触れてしまったようだった。 一瞬のことだったが、寝ぼけていた頭を覚ますには十分なほど熱かった。 なんともみっともない話だ。 などと考えていたが、実はこれはこれで正月っぽいのでないだろうか。
ちょっとググったところ餅の歴史は相当古いらしく、稲作が始まった縄文時代や弥生時代から食されているそうである(お餅の歴史)。また、餅を正月に飾る文化は平安時代からあったそうである(おもちと日本人)。 ということは、餅を焼いて食べようとしてやけどした人もたくさんいたに違いない。 とるに足らない事象も多くの人がくり返せば文化的に意味のあるものになるのが人間の歴史である。 そう考えると、このやけどは季節的に趣深いやけどといえるだろう。 しかも単発のイベントと違って長く季節感を供給してくれる。
ヒリヒリする指を冷水で冷やしながら、 今年はまあまあ正月っぽいなと戯言を考えるなどした。