なぜ場の量子論が必要なのか

まず場の量子論の具体的な議論に入る前に、そもそもなぜ場の量子論が必要なのかということを確認しておく。 場の量子論の必要性は今後、理論を構築していく上で重要なモチベーションとなるはずだが、場の量子論の参考書にはまとめてあるものが意外と少ないと感じた。 多くの場の量子論の本では、唐突に場の量子化から話が始まっていて、なぜ場の理論なのかについてはあまり言及されていない。未完成の理論とはいえ、もう少し導入部分を気にした方が初学者にやさしいのではないかと感じた。

ここでは量子力学を含む高次の理論として場の量子論を想定し、 量子力学がもつ問題点から出発して場の量子論の必要性を簡単に確認する。 また、量子力学と特殊相対論はすでに学んでいて、相対論的量子力学も知っているとする。

実際に起こる現象を記述する上での量子力学の問題点を考えると以下の3点が挙げられる。

  1. 粒子の生成・消滅を含む過程を記述できないこと。
  2. 電子などの物質粒子の振る舞いは波動関数によって量子的に記述できるが、電磁場は古典論のままであること(統一的でない)。
  3. 特殊相対論をみたす量子力学を作ろうとすると、 場合によっては確率解釈ができないという問題が起こること。

まず1つ目の粒子の生成・消滅について考える。 量子力学では粒子の状態は波動関数で表され、その時間発展はシュレディンガー方程式に従う。 具体的には、波動関数で粒子のとりうる状態に対する確率密度がわかるが、この形式では粒子の生成消滅を記述できない。 実際に、時刻$t=t_0$で、ある1粒子が座標表示で$\psi(\bm{x},t_0)$という状態であった場合を考えてみる。 さらに$t_0 < t_1$で粒子が消滅して$\psi(\bm{x},t_1)$となるとする。 初めの状態では粒子が存在するので$\int^{\infty}_{-\infty}d\bm{x}|\psi(\bm{x},t_0)|^2=1$であるが、 後の状態では粒子が存在しないので、至るところで$|\psi(\bm{x},t_1)|^2=0$である。 したがって$\int^{\infty}_{-\infty}d\bm{x}|\psi(\bm{x},t_1)|^2=0$であり、 時刻によって確率の値が変わってしまっていることがわかる。

すなわち、確率の保存が破れるので確率解釈ができない。 よって、量子力学の記述形式は粒子の生成消滅とは相性が悪いことがわかる。 ということは、量子力学では粒子の生成消滅を含む現象を説明できないということである。 もし現実の宇宙でそのような現象が起こらないのであれば、粒子の生成消滅を考えることには物理的な意味がない。 しかしながら、幸か不幸か、粒子の生成消滅を含む現象は実験でしっかり確認されている。 例えば、電子と反電子が衝突して光子になる過程などがある。核融合や核分裂でも粒子の個数が変わる。また、素粒子の加速器実験では粒子同士を衝突させて他の種類の粒子を生成するという現象が当たり前のように起きている。

そういうわけで、これらの現象を説明するには量子力学だけでは不十分である。 量子力学を含む、新しい理論が必要である。

次に量子力学の範囲で電磁場中の電子の問題を考えた時、電子と電磁場の取扱いが統一的でないことを確認する。 電磁場中の1電子を表すハミルトニアンは電子の質量を$m_e$、電子の電荷を$e$、光速を$c$とすると、

\begin{align} H &= \frac{1}{2m_e} \lk \bm{p}-\frac{e}{c}\bm{A} (\bm{x},t) \rk^2 +e\phi (\bm{x},t) \end{align}

である。 ここで$\bm{A}(\bm{x},t), \phi(\bm{x},t)$はそれぞれベクトルポテンシャルとスカラーポテンシャルであり、 $\bm{E}(\bm{x},t)=-\partial_t\bm{A}(\bm{x},t)-\mathrm{grad}\phi(\bm{x},t)$, $\bm{H}(\bm{x},t) =\mathrm{rot}\bm{A}$ のように電磁場$\bm{E}, \bm{H}$と対応するが、これらは外場であり、c数で表されているので古典的である。 一方で、電子は上記のハミルトニアンで表される外場のもとでの量子的な運動となる。 よって、両者の記述の仕方には差がある。

現代物理学の立場で考えると、できるだけ少ない仮定を用いて、同じ枠組みを使って、できるだけ多くの現象(実験事実)を説明できることが嬉しいと思う。 欲を言えば、恣意的でない自然な仮定から出発して、全ての現象を説明できる理論ができれば理想的である(美しいといってもいい)。 そういう意味で、この電子と電磁場の扱いの差は居心地の悪さを感じるものであるので、理論を美しくするために統一的な記述をすべきである。 また、実際問題として、電子が光(電磁場)と衝突して運動量のやり取りをするコンプトン散乱や、電子が光(電磁場)を吸収して励起する光電効果などの、電子と電磁場が絡む現象が実際の物理系で観測されており、電子と電磁場の記述を統一できたほうが明らかに便利である。 量子力学によるとミクロの粒子は、粒子と波動の二重性をもっており、何とか頑張れば、離散的な粒子と連続的な場を統一的に扱うことは出来そうな気もする。

そこで少し考えてみる。 量子力学では電子の波動性は波動関数$\psi$を通して表されていた。 また、その波動関数の絶対値の2乗$|\psi|^2$が1個の電子を見出す確率密度と解釈されることで粒子性が表現されていた。 ここではその考え方を変えてみる。 量子場の導入により場が最初にありきとして、その励起としての粒子が存在する、と考え直すと、波動性と粒子性が両立するシナリオを自然に表せる。 よって、このシナリオを採用して、もし電磁場を量子化することができれば、対応する粒子(フォトン)が現れると予想できる。 しかも、この場の励起としての粒子という考え方では粒子の生成消滅を自然に扱うことができる。 これらのことは今後、確認する予定である。

話を戻して、さらに量子力学を特殊相対論(以下、相対論)を満たすように拡張した相対論的量子力学を考えると、 確率解釈に困難が出てくることを確認する。 しかし、そもそも何故そんなことを考えるのか。 話はシンプルである。 普通の量子力学は相対論を考慮していない。 ということは、粒子の速度が光速に近くなるような場合には破綻する。これではいけないので、量子力学を拡張しようというわけである。

具体的に議論したいため、例としてLorentz変換のもとで不変かつ、 単純なKlein-Gordon方程式(以下、K.-G.方程式)について考える。 K.-G.方程式は計量が$g_{\mu\nu}=(-1,1,1,1)$かつ自然単位系$\hbar=c=1$のもとで、 質量$m$の粒子に対して次のように表される。

\begin{align} (\partial_{\mu}\partial^{\mu}+m^2) \phi(x) &= 0 \end{align}

上の式に現れる$\phi(x)$が波動関数に相当すると仮定してみる。 簡単のため、$A$を定数として平面波$\phi(x)=Ae^{ikx}$の場合を考えて、 $x=(t,\bm{x}), \, k=(E,\bm{k})$とすると上のK.-G.方程式から

\begin{align} E^2 &= \bm{k}+m^2 \\ E &= \pm \sqrt{\bm{k}^2+m^2} \end{align}

が得られる。よってエネルギーが負の値をとりうることがわかる。 また、$schr\ddot{o}dinger$方程式のときと同じように連続の式

\begin{align} \partial^{\mu} (\phi^*\partial_{\mu}\phi-\phi\partial_{\mu}\phi^*) &= 0 \end{align}

を考えることができるが、これの時間成分をみると

\begin{align} \rho &= \frac{i}{2m} (\phi^*\partial_{t}\phi-\phi\partial_{t}\phi^*) \end{align}

となっている。 エネルギーが負の時を考えると、$\rho=-|E|/m|\phi|^2$となって負の値をとり、 場合によっては負の値を取ることがわかるので、この$\rho$を確率密度として解釈できない。 この問題はK.-G.方程式が時間に関して2階の微分を含んでいることに原因があるので、 時間に対して1階の微分しか含まない方程式を考えたいと思うだろう。 そのような方針で導入つされるのがDirac方程式で、以下のような形をしている。

\begin{align} (i\gamma_{\mu}\partial_{\mu}-m)\psi(x) &= 0 \end{align}

この方程式に従う粒子の運動を考えると、自由粒子のときには上記のような問題が起こらないが、 一次元ポテンシャル$V(x)=0\, (x< 0),\, V \, (x\geq 0)$のもとでのポテンシャル問題を考えた時、 ポテンシャルが粒子のエネルギーよりも高い場合に確率解釈ができないという困難が生じることが知られている。 これも粒子の負エネルギーに起因する。 これを乗り越えるためにはDiracが考えた反粒子を導入する必要がある。 基底状態は負のエネルギーを持つ粒子が詰まっているとして、粒子が励起すると空いた場所が反粒子になるとする。 負のエネルギー状態はディラックの海と呼ばれる。

よって、粒子が反粒子に出会うと対消滅して元の基底状態に戻ると考えることができる。 これによって粒子数が変化する事象を記述できる理論が必要であるという問題に再会することになる(1つ目の話)。 粒子の生成消滅をあつかう必要がある場合、量子力学を超えなければいけない。その理論の候補として場の量子論がある。

じつは場の量子論を考えるにあたって、特殊相対論は必須ではない。実際、物性の分野で場の理論を使うときは非相対論的な記述で充分である。 だが上記の議論から、特殊相対論と量子力学を同時にみたす理論を作りたいと思ったとき、粒子数の変化を許す必要が出てくる。 ということは結局、粒子の生成消滅を扱うことができる場の量子論が必要である、という事実に行き着く。 このことは、場の量子論を考えるモチベーションになるので重要である。

ここでは場の量子論がなぜ必要なのかを考えてみた。 具体的にどのように場の量子論を作っていけばいいのかは以降の記事で詳しく考えてみたいと思う。

その前に、どのような手順で場の量子論を作っていくのか、ということを現状の理解でいったん概説する。

最初の目標は量子電磁気学(Quantum Electro-magnetic Dynamics:QED)を構築することとする。 理由は電磁場が一番身近であるからである。 また、上で述べたように、電子と電磁場の扱いを統一することも場の量子論の目的の一つだからである。 粒子数が保存しない場の量子論をつくって実際の現象である光電効果やコンプトン散乱を説明できるのかどうかを示す。 そのためには場の量子論でどんな量を計算できるか、ということも考える。 また、発散の問題を回避するためのくりこみの概念を導入する。 さらにくりこみ可能性と対称性の要請から理論を記述するラグランジアンがどのような制約を受け、 可能な理論が絞られるのかを確認する。

次に強い力と弱い力の理論、ヒッグス理論による粒子の質量獲得という流れで進んで、 上記の話すべてが場の量子論の枠組みで議論できることを確認しようと思う。 できれば、さらに進んで重力を含む理論の候補や超弦理論なども学んでみたい。


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